沿革
東恩納寛量先生(1853~1915年)は、17才の頃から新垣世璋先生に師事。その後、中国福建省福州に渡り(1874~1877年)研鑽帰国後、王族義村御殿の二男・朝義、宮城長順、許田重発の方々の様な卓越した空手家を育てられた。
宮城長順先生(1888~1953年)14才から東恩納寛量先生に師事。1915年に中国福建省福州に渡り、1年余りにわたり中国各地において良師を求めて研鑽。更に1936年再度渡中し研鑽を重ねる。空手道初の流派名・剛柔流を命名。琉球警察学校を主に各学校等において空手道を指導するが、警察学校教官在任中に急逝された。(1953年10月8日)
宮里栄一先生(1922~1999年)は17才から那覇市松尾において宮城長順先生に師事。警察官時代から宮城長順先生を補佐し警察学校で指導された。師亡き後は宮城長順先生の宅で庭を整備し、門下生を指導した。1954年4月沖縄剛柔会(当時)の総会において宮城長順先生の後継者として公認された。 1957年那覇市安里に順道館空手道場を開館。門下生の指導にあたるとともに全日本空手道連盟相談役、全日本空手道連盟剛柔会顧問、沖縄県空手道連盟会長、沖縄剛柔流空手道協会初代会長等の要職を務めたが、在任中急逝された。(1999年12月11日)
伊波康進先生(1925~2012年)は14才で宮城長順先生に師事。師亡き後は宮里栄一先生を補佐し門下生の指導にあたる。1964~1975年那覇市泊に剛柔流正道館空手道場を開館。門下生の指導にあたる。1969年10月宮里栄一先生の勧めにより沖縄剛柔流空手道協会を設立初代会長・宮里栄一、副会長・伊波康進で発足した。1999年12月11日宮里栄一先生の急逝により、2000年沖縄剛柔流空手道協会の理事会において協会の二代目に伊波康進を選任し、2004年まで勤められた。2000年には沖縄県指定無形文化財保持者に認定。2012年に逝去。
比知屋義夫先生(1930~2017年)久米島仲里村に生をうけ、1957年から宮里栄一先生に師事。1992年から12年間沖縄剛柔流空手道協会の副会長を務め2004年に沖縄剛柔流空手道協会の理事会において伊波康進先生から三代目の会長を引き継いだ。2004年には沖縄県武道連絡協議会会長などを務め、2008年沖縄空手主要4団体を統一組織とする沖縄伝統空手振興会設立に貢献し同副会長を2年間務めた。2013年には沖縄県指定無形文化財保持者に認定。2014年には沖縄県功労者表彰を受けた。2017年に逝去。
現在、照屋幸榮先生を四代目会長とし沖縄剛柔流空手道協会は、本部を沖縄県那覇市小禄693の研修館に置き、県内支部道場(13道場)県外(13道場)及び米国・ヨーロッパ・アジア等にも支部道場を開設し、毎年3月協会主催の選手権大会並びに年3回の昇段審査、毎月第四日曜日には研究会を、さらに海外セミナー等も実施している。現在、照屋会長は、沖縄県空手道連盟顧問、全日本空手道連盟剛柔会副会長でもある。